「宗教と家庭円満の両立、奥底に何を秘める」

S学会3世の僕が無視してきた感情を掘り返すための場所。

ポジティブで蓋をしたネガティブ

今回のタイトルがこのブログの基本スタンスになっていく予定です。

 

僕はじゅんべえと言います。よろしくお願いいたします。

 

まぁ早速自己紹介に入りますか。独白調で。

 

僕は創価学会3世としてこの世に生まれた。

 

父の転勤直後に母とのお見合いが組まれ、1年で結婚。その1年後に僕が生まれる。

 

働き者の父としなやかな母に愛されて育った。

 

3つ下の妹がいる。美人で頑張り屋。

 

我が家は転勤族で、5回ほど転居を経験している。

 

小学校は4校通った。西小、北小、東小に通った。あと南小に通えたらコンプリートできた。都会の学校の方が居心地が良かったのを覚えている。

 

どこに行っても創価の同志たちには大層可愛がられていたらしい。

 

中学生で不登校になった時は婦人部の励ましで教室に戻ることが出来た。

 

高校は私立の推薦。受験勉強から逃げた。高校では友達も多くて楽しかった、予習復習をした記憶があまりない。

 

大学受験前日に5時間の題目を上げたら合格した。しばらく活動していたけど、バイトが楽しみすぎて離脱。選挙戦に未成年を駆り出す姿勢に納得行かなかったのもあり、最初のアンチ状態。

 

就活は失敗した。うつ病になって就活続行不可能になったから。新卒で無内定でも健康なら大したダメージじゃないのに。

 

フリーターとして社会の端っこにしがみつき続けた。そのうち創価の先輩たちに誘われて熱心に活動しだす。

 

6年ぐらいコンビニでフリーターをした後、社員になり店長を目指し始める。2年持たなかった。不規則な仕事と学会活動は相性が悪い。見通しが甘かった。

 

今の仕事は学会活動をする時間を確保するために決めた。どこでも学会活動出来ると思ってた。

 

配属の関係で実家から出ることになった。そこで地元を離れることに猛反発を喰らった。あまりに抵抗されたので、

「この人たちは僕を活動の駒としてしか見ていないのか。」

と思いながら実家を出た。絶対活動に戻るものかと誓った。2度目のアンチ状態。

 

失望して、絶望もした。酒におぼれて貴重な友人を捨ててしまったこともあった。1日中酒を飲んで自暴自棄になった日々もあった。

その後カウンセリングに通い始め、Twitterを始めて、自分という存在を見つめ直している。このブログもそんな思いで始めた。

 

淡々と自己紹介を書いてみました。こんな感じでいいのかな?

 

それとここまで生きてきて今思うこと、感じることを書いてみました。

 

死にたいと願う日も、生きたいと願う日もある。嫉妬、怒り、後悔が脳内に山積みになっている。

 

一人きりで立ち続けられるだろうか?生き抜けるだろうか?不安で寂しい。

 

だから発信する。人生を自分で操縦する。失敗したって死なないし、死ねない。

 

これはメンヘラちゃんですね、間違いない。

新興宗教ってメンヘラ量産してますよね、洗脳ガンガンかけてきますし。

我が家宗教と無縁の家庭だったらどれほど良かったかとも思いました。

それでも自分で気づいて、自分で脱出したことは褒めてあげたいとおもいます。

今日はこの辺で。

 

 

そうそう、自分の生き方自分で決断するって難しくないですか?